
「極真空手、思い出を挙げればキリがない」の第56回。今回も、極真会館の前身である大山道場にまつわる話。夢とロマンがたっぷり詰まった大山道場の取材に奔走していた時のエピソードを綴っていきたいと思う。
今回も引き続き、ボクの大山道場取材の集大成とも言えるムック本『蘇る伝説 大山道場読本』制作にまつわる話。大山道場時代とは主に1956年に池袋の立教大学裏にあったバレエスタジオで大山倍達総裁が空手を教え始め、1964年に極真会館が設立されるまでのことを言うのだが、それ以前に大山総裁が目白にあった自宅庭に子供たちを集めて空手を教えていた時代(目白野天道場時代とも称される)にも、1954年に大山道場の看板が掲げられていた。
この目白野天道場時代の取材は困難を極めた。池袋・大山道場時代の中心人物である安田英治は実業家として、石橋雅史は俳優としてそれぞれ活躍していたので割と簡単にアポイントメントが取れ、そこから別の道場生の連絡先が聞けたりしたのだが、目白野天道場時代ともなると古すぎてなかなか消息がつかめなかったのである。
目白野天道場時代は『空手バカ一代』にも多く出てくるし、大山総裁の全盛時にも近いので貴重なエピソードがたくさん聞けると思い、何が何でも追求したい時代だった。それに『空手バカ一代』に“空手家で最強の敵”として登場する由利辰郎の元になるエピソードがあるかどうかも(なかっただろうな、多分)。
とりあえず、大山総裁の本を書いたライターの方から目白野天道場時代のリーダー的存在であった人(仮にK氏としよう)の連絡先は教えてもらえたのだが、連絡すると「取材は受けたくない」との答えが返ってきた…………