
「極真空手、思い出を挙げればキリがない」の第52回。今回も、極真カラテ史上最強の男は誰なのか!? その議論になると必ず名前が挙がる増田章についてのあれこれ。
増田と初めて出会ったのは、1989年9月5日に日本武道館で行われたロブ・カーマンVSドン・中矢・ニールセン(全日本キックボクシング連盟)の翌日。この試合でカーマンは3RでKO勝ち、以前からカーマンのファンだったという増田との対談が『ゴング格闘技』で実現したのだ。
ボクは当時、まだ編集部に入ったばかりだったので、雑用係として取材の途中に呼ばれて行っただけだったので正直なところ内容はあまり覚えていない。ただ、増田がもの凄い勢いで喋っていて、いかに自分がカーマンを尊敬しているかということを熱弁していたのは覚えている。ボクは覚えているが、挨拶くらいしかしなかったので、増田本人は覚えていないだろう。
それから時は流れ、ようやくボクが増田本人に取材したのは1991年の『第5回全世界選手権大会』の前だった。増田は前年の『第22回全日本選手権大会』で初優勝し、日本のエースとして出場を控えていた。
ちなみにその年の5月19日、増田は極真最大の荒行「百人組手」に挑んだのだが、ゴン格は取材をさせてもらえなかった。極真の機関誌であるパワー空手と、ビデオを販売していたメディア8の独占取材とのことで、その他の媒体はお断りということだったのである。
事務局にかけあって何とか取材を……とお願いしたのだが、返事はノー。そこでボクが考えたのは、近くのビルから窓ガラス越しに盗撮しようとか、総本部の前で待ち構えていて百人組手を終えた増田を直撃しようとか、どさくさにまぎれて道場に侵入して写真は撮らずレポートだけ掲載するとか、メチャクチャなことだった。当時の上司に提案したところ、「そこまでやらなくていい」と言われて断念したのだが、今から考えると若気のいたりだよな、こりゃあ。そんなことを本当にやっていたら、それこそ全面的に取材拒否されていただろう。
話は戻って世界大会前の初取材。ボクは練習を見るのが好きだったので、練習を見てからインタビューをすることになった。この時、増田は…