
「極真空手、思い出を挙げればキリがない」の第42回目。今回も、ボクがこの目で見た中で誰が何と言おうと極真空手史上最高・最強の空手家と信じて疑わない数見肇についての思い出を振り返ってみたい。
1999年11月5〜7日の『第7回全世界空手道選手権大会』。数見は決勝でフランシスコ・フィリォに敗れ、世界大会史上初めて海外への王座流出を許した。トーナメント初戦で下段廻し蹴りを蹴った時、「バチンッ!」ともの凄い音がしていた。相手の足を破壊したのだが、実は数見自身も足の靭帯を断裂(膝だったと記憶している)。その「バチンッ!」という音は数見の靭帯が断裂した音だったと後から聞いた。
その後の試合も苦戦が続き、数見は満身創痍の状態。後年「怪我をしていない箇所の方が少なかったくらい、全身を痛めていた」と語っていたほどだ。そんな状態で決勝戦まで勝ち上がり、延長2回を戦い抜いたのだから、数見の精神力は常人には計り知れない。
延長2回も引き分けに終わり、試割りの結果が読み上げられる間、数見は握った両拳を腰の辺りで構え、やや前傾姿勢で真っ直ぐ前を見ていた。大量の汗が流れ落ちていたが、その汗を拭うこともせず、汗の粒がアゴから何度も落ちた。試割りの結果は頭の中に入っていただろうから、延長2回が引き分けに終わった段階で、数見は自分の、そして日本の敗北を悟っていたはず。しかし、表情はいつもと変わりなかった。
ボクは3日間ある大会で、初日、そして2日目の試合が終わる毎に数見の師である廣重毅にコメントを聞きに行った。
話は脱線するがちょっとここで、極真の大会の取材方法を説明しておこう。あくまでもボクがゴン格の編集長を務めていた当時の話であるが。まず、試合数や注目選手が多いため、編集部員だけでなくライターを何人も確保し、チームで取材に臨む。それぞれの担当選手を決め、担当者は試合が終わるとその選手に近づいていって一緒に控え室へ戻る。セコンドとの会話、本人のつぶやきや状況を見逃さないためだ。そして、大会初日が終わったらその日の感想を聞き(3日間であれば2日目も)、さらにその選手の師範にも話を聞く。