
「極真空手、思い出を挙げればキリがない」の第41回目。今回も、ボクがこの目で見た中で誰が何と言おうと極真空手史上最高・最強の空手家と信じて疑わない数見肇についての思い出を振り返ってみたい。
1999年11月5〜7日の『第7回全世界空手道選手権大会』。数見は見ていて気の毒になるほどの悲壮感を漂わせていた。日本が王座を守らなければいけない、その重圧を1人で、一身に背負って闘っていたのである。木山がまさかの3回戦敗退を喫し、重圧はさらに増したであろう。
1回戦でセルジオ・ゴメス(ウルグアイ)、2回戦でマクシミリアーノ・フェライオーロ(カナダ)、3回戦でポール・バウタニ(パプアニューギニア)、4回戦でアンドレイ・ベロコン(ロシア)を破った数見だが、5回戦では早くも日本人対決に。状況としては最悪だった。
世界大会への日本代表出場選手は回を追う毎に人数が増えていき、ボクが初めて取材した第5回大会は16人(当初は15人だったが、大山倍達総裁推薦で1人増えた)だったが、第7回はその倍くらいになっていたのではないだろうか。観る側としてはトーナメントに日本人が多すぎて、今ひとつ緊張感がないな……と思っていたのだが、それも最初だけ。出ている人数が多ければ、負けていく人数も多い。日本人対決も早々に実現し、日本敗北へのカウントダウンは刻々と刻まれていた。
話は戻り、数見は5回戦で重量級の入沢群と対戦。全日本大会でも上位争いで実現しそうなカードである。日本人相手だと闘いやすいためか、それとも日本人同士で知りつくしているためか、入沢は強く数見を苦しめた。長年極真を見続けているライター氏がつぶやく。「世界大会で日本人同士が当たると、日本人は張り切っちゃうんだよな」。試合は数見が振り切ったが、さらにダメージは蓄積されていたように見えた。
準々決勝は、ニコラス・ペタスVSアレキサンダー・ピチュクノフ、野地竜太VSグラウベ・フェイトーザ、フランシスコ・フィリォVS成嶋竜、そして数見肇VS木村靖彦という組み合わせとなった。最悪なことに…