
「極真空手、思い出を挙げればキリがない」の第31回目。今回からは、ボクがこの目で見た中で誰が何と言おうと極真空手史上最高・最強の空手家と信じて疑わない数見肇についての思い出を振り返ってみたい。
“衝撃的”としか表現できない登場の仕方だった。『第5回全世界空手道選手権大会』の翌年、1992年10月31日〜11月1日に開催された『第24回全日本空手道選手権大会』。この頃、極真には「世界大会の翌年には波乱が起こる」というジンクスがあった。以前にも書いたとおり、松井章圭が優勝して現役を引退した『第4回全世界大会』の翌年に行われた『第20回全日本大会』では、世界大会日本代表メンバーで優勝候補と言われていた選手たちが次々と敗れ去ったのである。
『第5回全世界大会』が初めての世界大会取材となったボクにとって、その波乱が起こるという世界大会翌年の全日本大会取材も今回が初めてだった。どんな波乱が起こるのだろう……とワクワクしながら東京体育館に足を運んだ。
とは言え、『第24回全日本』には増田章と八巻建志という不動の優勝候補がエントリーしていたため、優勝はそのどちらかだろうと思っていたのも事実。または、世界大会で敗れるも間違いなく新時代を担うだろうという期待をかけ、“超世代闘士”というニックネームを付けた岩崎達也が優勝して、岩崎時代が到来するものだと予想していた。
ところが……ジンクスは生きていたんだな。世界大会の翌年は波乱が起きるというのは本当だったのだ。
その最大のクライマックスは、大会2日目の3回戦、つまり決勝日の最初の試合(1回戦と2回戦が大会初日、3回戦から決勝戦までが大会2日目に行われる)で訪れた。優勝候補最右翼の増田の前に立ったのは、当時、全く無名で全く注目されていなかった城南支部の若手・数見肇だった。