
「極真空手、思い出を挙げればキリがない」の第23回目。今回もボクにとって初の世界大会取材となった1991年11月に開催された『第5回全世界大会』に関するエピソードの数々を綴る。
世界大会を目前に控えて、ボクは一大転機を迎えた。『ゴング格闘技』の副編集長に任命されたのである。当時の編集長である近藤さんがゴン格をやめるにあたっての人事であり、事実上、雑誌のトップを任せられることになったのだ。余談ではあるが、ボクの副編集長時代は2〜3年と長かった。ゴン格は編集長不在時代が続いたのである。よく「ゴング(当時はゴン格という呼び名はなかった)の編集長は誰なんですか?」と聞かれたものだ。これは当時、姉妹誌『週刊ゴング』の編集長が代わったばかりで、その人が40歳。「40歳でやっと編集長になったのに、入社して2年で熊久保が編集長はまずいだろう」ということになったらしい。
いや、それ以前に他の部署から編集長が来るとかないの? こんな若僧に雑誌一冊任せちゃっていいの? ……と当時は思ったものである。それでもとにかくやることになってしまったので“やるっきゃねえ!”(当時流行の言い方)と開き直るしかなかった。もちろんプレッシャーはあったが……。そんな中、持ち上がったのが世界大会の速報号の企画だった。