
立嶋の大一番と言えば、1993年11月27日に行われた前田憲作(現チームドラゴン代表)戦だろう。世間をも巻き込んだ話題性といい、東京ベイNKホールという会場の規模といい、両者のライバルストーリーといい、全て整った最高の舞台だった。
両者はその1年前、1992年7月18日に初対戦。1991年4月に全日本フェザー級チャンピオンの座に就き、1992年3月に清水隆広を破って名実共に全日本キックのエースとなった立嶋が、前田を挑戦者に迎えての初防衛戦だった。前田の方が年上だが、キャリアは立嶋の方があり、前田は若手のホープという立場。しかも、挑戦者決定戦で前田は中島貴志(現AJジム代表)にKO負けを喫しており、中島の負傷欠場によって挑戦権が転がり込んできたのだ。
戦前の予想は「ま、立嶋の楽勝でしょう。前田がどこまで善戦するかだな」というものだった。この時点で両者の格が違いすぎたのである。ところが、格闘技というのはやってみないと本当に分からないもので、動きに精彩を欠く立嶋は前田の手数に翻弄され、前に出るも下がりながら打ち続ける前田のパンチを次々と被弾。誰が見ても文句のつけようがない内容で、前田が判定勝ちした。
これをきっかけに前田は立嶋と並ぶ全日本キックの二大エースとなり、全日本キックの人気も頂点を迎えた。何から何まで違いすぎる二人の個性は本当に好対照で、いいライバル関係が出来上がったのだ。
立嶋は「同じ階級の選手とは口をきかない」「同じ階級なら年上でも“さん”は付けずに呼び捨てる」など徹底しており、前田に対しての口撃も凄まじかった。姿勢や試合を批判し、言われていた前田は堪らなかっただろう。前田が特に立嶋を口撃することはなかったが、内心はらわたが煮えくり返っていたとしても不思議ではない。
この二人のライバル対決は格闘技雑誌だけでなく一般誌も取り上げ、日本テレビのスポーツニュースでも試合前後に取り上げられるなど大きな話題を呼んだ。これだけ盛り上がったライバル関係はその後、格闘技界にないんじゃないか。