
「極真空手、思い出を挙げればキリがない」の第14回目。今回も全日本ウェイト制大会にまつわるエピソードを綴る。
前回に引き続き、1992年6月19〜21日に開催された『第9回全日本ウエイト制空手道選手権大会』の話をしよう。今大会の主役とでもいうべき活躍を見せたのは、白蓮会館所属、つまり他流派からの挑戦者となった南豪宏である。
以前のコラムでも書いたが、南は全関西大会の決勝戦にも進出し、三明広幸と大激闘を繰り広げた。この時はボクシングを髣髴させるようなパンチのコンビネーションを用い、右・左と胸板を叩いて右・左とボディを叩く四連打を多用していたのだが、今回のウェイト制ではそれに加えて手数で負けないように、下突きの連打を主に使っていた。
他流派の選手が極真の大会に出場すると、大抵はこの手数に負けてしまうことが多い。ラスト15〜20秒でラッシュをかける選手が多く、その手数に押し切られてしまうのだ。おそらく南は、それを研究してパンチを効かせると共に、手数でも負けないスタイルを構築したのであろう。
元々、馬力のある選手である。決して下がらず、序盤はパンチとローキックで打ち合いながらダメージを負わせ、ラッシュもかけて印象をよくしたのだ。この“効かせるパンチ”が厄介で、南のそれは“ズボッ!”と腹に食い込むような下突きだった。
木元正資や鈴木国博、木浪利紀といった有力選手たちを破り、南はついに決勝戦へ進出。ついに極真を脅かす存在が現れ、場内は興奮に包まれた。実はこの時、もう一方のブロックからも他流派で勝ち上がってきた選手がいたのである。
その選手は、後にK-1で活躍する金泰泳だ。