
「極真空手、思い出を挙げればキリがない」の第11回目。今回も全日本ウェイト制大会にまつわるエピソードを綴る。
ボクが初めて取材に行ったウェイト制は、1991年6月の第8回大会だったことは前回に書いた。同大会はその年の11月に『第5回全世界大会』が開催されるため、日本代表の最終選抜戦として行われている。そのため、秋の無差別全日本で出場権を獲得できなかった有力選手たちが多数出場したので、通常のウェイト制よりも出場メンバーが豪華だった。
特に目を惹いたのは軽量級で優勝した山本健策。そりゃあもう、強かった。ムチのような上段廻し蹴りをビュンビュンと飛ばし、中段廻し蹴りもヒザ蹴りもまさにカミソリのような切れ味。そこでボクは“カミソリキッカー”と名付けた。
この当時、いや、今でもけっこう好きなのだが、選手にニックネームを付けるのが編集部内で流行っていた。ニックネームって、その選手を知らない人でもどんな選手か一発で分かるようなイメージを与えるには凄くいいものだと思うんだけれど…。
極真空手の機関誌『パワー空手』(現ワールド空手)には、大山倍達総裁への質問コーナーで『正拳一撃』というのがあって、そこに「極真空手の選手はプロでもないのに、なぜ“城西の爆撃機”(増田章のこと)とか“格闘マシーン”(黒澤浩樹のこと)とかニックネームを付けるんですか?」という質問が載っていた。
そんなに問題視するようなことではないと思うのだが、その質問が掲載されて以降、あまり選手にニックネームを付けるのはよろしくないという風潮があったので、それじゃあゴン格で勝手に付けてしまおうってノリだったのである。
ちなみにここでこぼれ話なのだが、ゴン格でボクがニックネームを名付けると、格通がその次の号で必ずボクが名付けたニックネームを微妙にアレンジして載せていた時期があった。例えば力王という選手に“お笑い大魔王”と名付ければ“魔王”、カレッド・エビアップという選手に“切り裂きカレッド”と名付ければ“切り裂き魔”というように。しかも、当時は格通の勢力(つまり売り上げ)が尋常ではなかったため、向こうの方が本家みたいになってて腹が立った。