
「極真空手、思い出を挙げればキリがない」の第10回目。今回は地方大会からグレードアップして全日本ウェイト制大会にまつわるエピソードを綴る。
ボクが初めて取材に行ったウェイト制は、1991年6月の第8回大会だった。その年の11月に『第5回全世界大会』が開催されるため、この大会は日本代表の最終選抜戦として行われている。
極真好きに言わせると、ウェイト制はあまり面白くないそうだ。主要メンバーは全日本大会の方へ出る上に、階級別に別れているので主力選手同士が当たることが少ない、そもそも階級別に別れること自体面白くない…などが理由だそうである。
どっちかと言えば見る側よりやる側の方に人気があるようで、128名と定員が決まっている秋の無差別全日本とは違い、ウェイト制は定員というものが無いに等しかった。そのため毎年のように“史上最大の●名が出場!”という見出しが躍っていたと思う。
地方のビッグマッチは先輩が優先して行くために、ボクは編集部入りして3年目にしてのウェイト制初取材。トーナメント組み合わせが載っているパンフレットを広げると愕然とした。もの凄い人数だったのである。特に中量級の出場人数は異常だった。この傾向はどんどんエスカレートしていき、翌年の第10回大会からは3日間(それまでは2日間)開催となり、それは分裂まで続いた。
試合数の多さにクラクラしながらも、取材開始。この頃のウェイト制の見所は、何と言っても正道会館勢の極真挑戦だった。前年から佐竹雅昭を除く主力メンバーで極真に殴り込みをかけた正道会館、この第9回大会でも熾烈なる争いが繰り広げられたのである。
正道が勝ち上がると、極真支部長たちはもう大騒ぎだ。敗れた選手のところへ行き、「どっちが強かった? 右か左か? 効かせた攻撃はなかったのか?」とか聞いていて、まさに“全面戦争”という雰囲気でとても面白かった。
特に正道を苦しめたのはホームタウンデシジョン的な判定。まあ、空手を知っている人にとっては日常的な光景でもある。どの大会でも他流派は圧倒的な差をつけないと判定で勝つことは難しい。中には一度、正道の方に旗を挙げて他の副審たちが極真側に挙げているのを見て、すぐに挙げなおした審判もいた。故意ではなく本当に間違えたかもしれないが、それを見て佐竹が「何ですか、あれ! 赤挙げて白挙げての旗挙げゲームやないですか!」と激怒した場面も。
そして、この第8回大会で最も極真を追い詰めた正道勢は軽量級に出場した田前純三である。田前は鋭い下突きと上段廻し蹴りで勝ち上がり、ついにベスト8へ進出。ここで“事件”は起きた。